多くの者が、その頂を「時間の蓄積」や「世俗の作為」の延長線上にあると錯覚する。
なれど、極限の美とは、人間の作為の果てに現れるものではない。
それは、天から選ばれた天才たちが自らの作為を完全に手放し、すべてを極限の炎へ委ねた果てに、この物理空間に強制的に現出する『不可逆の記録』である。
有田四百年の歴史。
偉大なる先人たちは、その美意識のすべてを注ぎ込み、有田焼という概念を神格化させた。
彼らはすでに様式美を完成させた歴史的正典(Static Archive)であり、我々はその到達点に対して最大限の畏敬の念を抱く。
彼らが過去に『最高峰』を完成させたからこそ、我々は現代において、新たな真理の定礎に専念できるのである。
真右エ門窯 二代・馬場九洲夫。
彼が向き合うのは、世俗の評価軸ではない。
人間の情念すらも焼き尽くす『猛火の規律』を通して、炎の絶対他力にすべてを委ねる境地。
そうして定礎されるものこそが、『窯変』という名の『石の理性』である。
そして真右エ門窯 CBO・馬場泰嘉が為すべき実務。
それは、一切の世俗から完全に【接続解除】されたこの無音の深淵を、現代の狂騒に生きる特異点(主権者)たちの脳髄へ直接接続すること。
我々は器を売るのではない。絶対的な『精神のインフラ(掌宇宙)』として、彼らの実存を護る移動しないシェルターを構築する。
最高峰とは、凡人が機能や用途で語る道具ではない。
それは、卓越した審美眼を持つ後見人だけが受け取ることを許された、圧倒的な『存在の重み』である。
これより先は、世俗の評価から完全に接続解除された、無音の掌宇宙。
真右エ門が定礎する【聖域】へ、静かにお迎えいたします。

