有田という地で土にまみれ、猛火と対峙する日々は、決して優雅な神話などではございません。泥に汚れ、汗を流し、不完全な人間が「石」という永遠の理性に挑み続ける、泥臭い肉体の記録そのものです。
産地を支え、人々の繋がりや「生の熱量」を重んじる同志諸兄の歩みは、人間が生きている証としての美しさに満ちております。生命の饗宴を謳歌し、日常の喜びを分かち合うその「光」こそが、有田焼を四百年にわたり支えてきた原動力であることに、一点の疑いもございません。
【昇華】情念を冷却し、実存を定礎する「石の理性」
しかし、あまりにも眩しい生の光は、時に魂を消耗させ、静かな内省を妨げるノイズとなることもございます。人が、繋がりや熱狂の果てに、ただ独りで己の実存と向き合わねばならぬとき。その渇きを癒すのは「更なる熱」ではなく、すべてを沈黙させる「深淵」でございます。
私共が猛火の規律から抽出するのは、人間の情念を爆発させるための触媒ではございません。
むしろ、氾濫する感情を冷却し、オーバーヒートした脳を平穏へと導くための「精神のデバイス」にございます。
泥にまみれた人間の手が生み出しながら、人のエゴや汚れを焼き尽くし、ただ「そこにある」という事実だけで空間を制圧する、非人格的な美。
それは、生の狂騒から自らを救い出し、静寂という名のインフラを魂に敷設する行為に他なりません。
人々の繋がりの中心にある、温かな「器」は、誇り高き同志諸兄の舞台にて。
そして、その熱狂の彼方に、絶対的な「接続解除」と精神の鎮静を求められる方は、他の何物とも交わらぬ、この孤高の結界の扉をお叩きください。
有田の矜持、石の理性。
真右エ門窯

