「陶芸家」とは一般的に、優れた技術で器を作る者を指します。 真右エ門窯は、先人が築き上げたその尊い技術と、日々の食卓を支える実用品の価値を深く尊敬しています。
しかし、真右エ門窯が歩む道は、それとは峻別された場所にあります。 真右エ門窯は、三代目(CBO)馬場泰嘉を「陶芸家」としてだけではなく「陶芸哲学者(Ceramic Philosopher)」と定義しています。
真右エ門窯にとって、作陶とは「物を作る作業」ではなく、土と炎を介した「存在への問いかけ」です。
- 石の理性: 猛火の高熱に耐え、形を成そうとする土の意志。
- 炎の奇跡: 人の制御を超え、偶然という名の必然をもたらす自然の摂理。
この二つが交差する一点を追い求める行為こそが、私の哲学であり、真右エ門窯の真髄です。
私たちが生み出す一品は、喉を潤すための「道具」ではありません。それは、現代社会の喧騒から離れ、自らの内面と対峙するための「聖域の入り口」です。
器の中に広がる釉薬の深淵を眺める時、そこには一つの宇宙が広がっています。
私たちはこれを『掌宇宙(てのひらのうちゅう)』と呼びます。手に触れる感触は、利便性ではなく、己の存在を確認するための重みなのです。
技法やスペックについては、多くを語るまでもありません。言葉や数字での説明を超えたその先にのみ、魂に直接響く「真理の美」が宿ると私たちは信じています。
初代、二代が守り抜いた伝統は、陶芸哲学者・馬場泰嘉というフィルターを通じ、目に見える形から「心に作用する哲学」へと進化しました。真右エ門窯の作品を手にするということは、単なる所有ではなく、私たちとともに「深淵なる精神の旅」に出ることを意味します。

