世の中には、日々の営みを支える「優れた道具」が溢れています。手に馴染み、汚れが落ちやすく、食卓を彩る産業技術の粋を集めた器たち。それらは私たちの生活を円滑にし、日常を豊かにする尊い存在です。日本が誇る有田焼の歴史もまた、そうした「利便性」の追求と共にありました。
しかし、真右エ門窯が求める境地は、利便性の対極にあります。私たちは、自らの作品が「便利な道具」と呼ばれることを、あえて否定します。
「使いやすい」「軽い」「食卓を彩る」といった機能的価値は、私たちの美学においては副次的なものに過ぎません。真右エ門窯の器は、生活の道具ではなく、持ち主の精神を浄化するための『聖域の器』であると断定します。
目次
セラミック・セラピー(魂の治癒)
現代社会という喧騒の中で、人は常に外側の世界に晒されています。家路につき、真右エ門窯の器を掌(たなごころ)に包む瞬間。その「存在の重み」は、単なる重量ではなく、『精神の静寂』へと誘う重力です。
器の深淵を覗き込み、指先でその肌に触れる。その行為そのものが、傷ついた魂を修復する『セラピー(陶芸という名の治癒)』となるのです。
存在の重みと静寂の触感
私たちは「持ちやすさ」だけではなく「存在感」を重視します。手に触れる感触は、利便性のための滑らかさではなく、石が炎を経て再び生命を得たことの証です。
その器が置かれた空間は、もはや単なる食卓ではありません。そこは日常から切り離された、主(あるじ)の魂を癒やすための『プライベートな聖域』へと変化します。
選ばれし者へ
もし貴方が「魂の乾き」を感じ、日常の中に静寂という名の贅沢を求めているのであれば。
私たちの作品は、貴方の人生に寄り添う、最も高貴な共鳴者となります。
ぜひ一度真右エ門窯の作品を手にとってみてください。

