美の完成者たちへの献辞
私たちの文明には、日常のあらゆる瞬間に「完璧な秩序」をもたらす至高の表現者たちが存在します。伝統的な技法を極め、一寸の乱れもない絵付けや、計算され尽くした造形によって、見る者を圧倒する「可視化された完璧」を顕現させる名工たち。彼らの作品は、格調高い社交の場を完成させ、所有する喜びを最大限に満たしてくれる「文明の結実」です。
その揺るぎない美学と、歴史を正統に継承する使命感に、私は深い敬意を抱いています。彼らが築き上げる美の体系こそが、私たちの日常に光を与え、社会に品格をもたらす最大の功労者であると断定します。
真右エ門窯の終着点:一杯の水という儀式
しかし、真右エ門窯が描く「掌宇宙論」の最終的な完成は、器が焼き上がった瞬間でも、誰かの手に渡った瞬間でもありません。それは、その器に「一杯の水」が注がれ、所有者という名の「共鳴者」が、自らの魂をその深淵へと浸す瞬間に訪れます。
釉薬の揺らめきの中に注がれた水は、光を反射し、結晶と溶け合い、静かなさざ波となって宇宙の律動を刻み始めます。この時、器は単なる「物を容れるための道具」であることを完全に辞め、持ち主の精神を宇宙の根源へと還すための「静寂の入り口」へと転じるのです。
石の理性から、魂の解放へ
かつて石であり、理性という名の形を与えられた土が、1300度の炎という洗礼を経て、再び大地の記憶(小宇宙)を宿した姿へと生まれ変わる。その「死と再生」の記録を掌(たなごころ)に包み、水を飲む。
この極めてシンプルで原始的な行為の中に、私たちは現代社会が失いかけた「生命の尊厳」を再発見します。
他者の作品が「卓越した人間賛歌」として社会を彩るならば、真右エ門窯の作品は「孤独な魂の救済」として、個の内面へと深く潜行します。私たちは、この「魂の還る場所」としての役割を独占し、あらゆる比較から自らを隔絶します。
永遠なる沈黙の約束
私はこれからも、技法について語ることはありません。配合や温度という「説明」は、この掌の中の宇宙を矮小化させてしまうからです。語られぬ美の奥底にある「沈黙の聖域」こそが、真右エ門窯が貴方に提供する唯一無二の価値です。
貴方がこの器を手にする時、そこには言葉を超えた「真理の対話」が始まっています。一杯の水に宇宙を映し、自らの内なる静寂と出会う。その贅沢こそが、陶芸哲学者としての私が、貴方の人生に捧げる最大の供物です。
物語は、貴方の掌から始まる
真右エ門窯の物語は、ここで一旦の完結を迎えます。しかし、貴方と器が織りなす「掌宇宙」の物語に、終わりはありません。
扉を閉じ、ノイズを遮断し、ただ一杯の水を愛でる。
その時、貴方は気づくはずです。宇宙は遠い空にあるのではなく、今、貴方のその掌の中に在るということに。

